- 三線日々好日
- 中城村文化協会主催「第一回 護佐丸の響き」舞台に出させてもらいました。
2022/12/26
中城村文化協会主催「第一回 護佐丸の響き」舞台に出させてもらいました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
去る11月27日日曜の午後、中城村にある吉の浦会館ホールで開催された中城村文化協会主催(後援:中城村・中城村教育委員会)「第一回 護佐丸の響き」に出させてもらいました。中城村は私の住む宜野湾市と隣り合っており、その文化協会で古典芸能部の部長をされている師範の先生に声をかけていただき、出演の運びとなりました。
先生とは今から7年前、沖縄新進芸能家協会の沖伊良部公演でご一緒させてもらったのがきっかけで親しくさせてもらうようになりました。先生は私が沖縄新進芸能家協会に入会した時の会長でした。雲の上の存在、というと少し大袈裟ですが、とてもすばらしいリーダーで頼もしく思ったものです。その先生の声かけだったものですから出演を辞退できるはずもなく、二つ返事で出させてもらった次第です。中城村の文化協会にはやはり先生の声かけで数年前に入会させてもらいました。
さて、出演させてもらうことになったのはよいのですが、今回演奏することになった、舞踊「野原遊び」の音曲が5つあり、そのほとんどが初めて挑戦するものばかりでここ数か月の私はその練習で青息吐息の毎日でした。ただ先生(花城部長)はじめ、他の先輩達(シージャヌチャー)の歌三線は大変ちちぐとぅ(聴ちぐとぅ)で練習のたびに聞いていてとても魅せられてしまいました。このブログを読んでいただいている皆様にも本当に聞いてほしいと思ったものです。
本番の様子の写真はまだないのですが、お客様は闊達な舞踊と地謡の音楽を楽しまれた様子でした。
私はというと、結局、歌三線は恥ずかしい出来で自分の不甲斐なさにただただ反省するばかりでした。収穫といえばこのままではカッコ悪すぎる、自分に甘すぎると気づいたことでしょうか。毎回、同じ反省の繰り返しばかりで情けないの一言に尽きますがそれでも自分に諦めず前に進みたいと思います。私にとって「諦めるのを知らない」のが唯一の自慢できる点でしょうか。
[比嘉侑子琉舞研究所の比嘉侑子先生と立方の皆さん、地謡の先輩方と記念撮影]
後日、地謡の先輩の一人に5曲のうち2曲が全然弾けなかったことを謝ると、あっさり「弾けないの、知っていたよ」と笑顔で爽(さわ)やかに返され、「弾ける曲を一生懸命頑張ればいいんじゃないの」と慰めてもらいました。「あー、私の周りにはこんなにも素敵な先輩がいるのだ。それも一人や二人でなく…こんな器の大きい先輩になりたい…」と心から思いました。私は仲間に恵まれている。いつも誰かに助けられている。それに気づかされたのが私にとって今回、何よりの収穫だったのかもしれません。花城先生、そして舞踊の比嘉先生、立方の皆さん、地謡をさせていただき有難うございました。
[いつもよくしてくださる師範の鎌田さんとも記念撮影。鎌田さんも沖縄新進芸能家協会の元会長で、その会長時代に沖伊良部公演に連れていってもらいました]
ちなみに比嘉侑子琉舞研究所・舞踊「野原遊び」の音曲は「屋慶名こはでさ」「いまさんにん」「ハリクヤマク」「津堅コール小」「ケーヒットゥリ」の5曲でした。練習続けます。
●「第一回 護佐丸の響き」舞台プログラム(文字をクリックするとPDFファイルが別窓で開きます)