宜野湾市うちなぁぐち会さんとハワイうちなーんちゅの皆さんの沖縄交流会に参加させてもらいました。
去る11月3日金曜日の少し早い夕方、西原町にある某大学の交流スペースで開催された、宜野湾市うちなぁぐち会さんとハワイうちなーんちゅの皆さんの交流会に参加させてもらいました。 ハワイうちなーんちゅの皆さんはサミット(会議)ツアーで来県されており、この日は午後から大学の講堂で沖縄が抱える「うちなーぐち」継承の課題について、また日本や世界が抱える環境や社会問題について、宜野湾市うちなぁぐち会の皆さんらと現状の共有や質疑応答などを行ったそうです。 私は宜野湾市文化協会を通じてご縁のあった宜野湾市うちなぁぐち会の役員の方から、勉強会後に開催される沖縄交流会での幕開け舞踊「かぎやで風」の演奏を頼まれ、二つ返事で参加したのでした。交流会には心細かったので、同じく文化協会の古典芸能部でお世話になったことのある先輩を誘い参加しました。 さて、交流会が始まると「余興」担当のつもりで参加した私でしたが、幕開けの「かぎやで風節」演奏後は宜野湾市うちなぁぐちの皆さんさんとハワイうちなーんちゅの皆さんにより次々と繰り出される余興の数々に圧倒されっぱなしでした。 宜野湾市うちなぁぐち会の皆さんによる寸劇(セリフはもちろんすべてうちなーぐち!)、ハワイうちなーんちゅの皆さんによる雑踊り「浜千鳥」(地謡じうてーも)、うちなぁぐち会の皆さんとハワイうちなーんちゅの皆さんコラボによる、台詞の唱えが中心の組踊「八重瀬の万歳(えーじぬまんざい)」、ほかにもウクレレ演奏など、どれもが長年の稽古、鍛錬なしでは披露できない、すごい余興ばかりでした。 中でも私と先輩が特に感心したのがハワイうちなーんちゅの皆さんによる歌三線また舞踊でした。訂正します。感心どころではありません。ほれぼれしました。感動でした。それもそのはずで披露されたのは「御冠船歌舞団(うかんしんかぶだん)」のメンバーの方々でした。 しかもメンバーの方から名刺をいただいたり、お話をさせていただくと「野村流」の実演家や師範の肩書をお持ちでした。恐縮してしまいましたが、同じ「野村流」を学ばせてもらっている者として、所属する団体は異なりましたが嬉しく思いました。また師範の先生お一人は、余興から参加の私たちにもとても打ち解けて下さり、そのお人柄にも大変感銘を受けました。 去る9月に所属する野村流保存会のブラジル支部記念公演に参加するためブラジルに行った時にも感じたことですが、海外の県系の方の琉球愛、芸能愛は本当にすごい。今回もまたまた大きな刺激とやる気をもらった、大変貴重な時となりました。 ちなみに、御冠船歌舞団は1998年に結成された、ハワイの県系3、4世の若者を中心に構成された、琉球伝統芸能文化の保存と継承を目的とするグループで、「冠船」とは、琉球王朝時代に冊封使が乗っていた船であること、また琉球に滞在する冊封使一行を歓待する宴で演じられた芸能を「冠船芸能」と呼んだことなどを、恥ずかしながら家に帰り、ググって知りました。 余興担当のはずの私はもう出番がなく、寂しいというより内心少しほっとしていたところ、交流会の最後にお約束のカチャーシーをやることになり、御冠船歌舞団の三線師範の方が私に気を使ってくくださり、私に「唐船ドーイ」を弾くよう促してくれました。ところどころ弾き間違いしましたが、そんな演奏と歌でも皆さん喜んで踊ってくれました。うちなーんちゅのアイデンティティ、パワーは強く優しい。あーーーもっと芸達者になりたい、、、練習しておけばよかった、、、。 もっと三線が上達したあかつきにはハワイうちなーんちゅ御冠船歌舞団の皆さんと一曲でも一緒に演奏させてほしい、と心のうちで強く願いました。御冠船歌舞団の公式サイトはこちら
2023/11/08
沖縄県しまくとぅば普及功労者表彰の市長・教育長表敬に同行しました。
皆さん、お変わりございませんでしょうか。宜野湾市文化協会会員の金城明美さんと大城宏予さんが令和5年度の沖縄県しまくとぅば普及功労者に表彰され、その報告にお二人及び関係者の皆さんと10月31日の火曜日午後、宜野湾市役所に市長と教育委員会教育長を表敬訪問しました。 金城さんと大城さんは宜野湾市文化協会所属の宜野湾市うちなぁぐち会で10年以上、うちなーぐちの普及活動に努めており、その功績が認められての表彰でした。 Googleで調べると、今から14年前の2009年2月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界の約2,500の言語が消滅危機に晒されていると発表しており、日本の言語でいうと、北海道のアイヌ語、東京都八丈島の八丈語、琉球諸島の奄美語、国頭語、おきなわ語、宮古語、八重山語、与那国語の8つが該当するそうです。副市長、教育長との懇談の中でも消えゆくうちなーぐちへの危機感がそれぞれ語られ、その対策についての話も色々と出ました。私も沖縄からうちなーぐちが消えてしまった時、はたしてそこは沖縄と呼べるのだろうか、という根本的な問い、そしてそれに続くうちなーぐち消滅へのとても強い危機感があります。9月にブラジルに行ってきましたが、ブラジルで暮らす親戚やウチナーンチュたちとの出会い、交わりを通して、いま私のうちなーぐち愛、うちなー愛は最高潮に達しています。 表彰の報告では金城さん、大城さん以外に宜野湾市うちなぁぐち会の與儀清子会長ほか、同席された役員の皆さん全員が挨拶しましたがすべてうちなーぐちでの挨拶でした。恥ずかしながら一部聞き取れないうちなーぐちもありましたがその抑揚はやさしく、懐かしく、とても心地よかったです。しびれました。私もうちなーぐちを習いたい!今回私は、宜野湾市文化協会の事務局長としての同行でしたので挨拶はありませんでしたが、もしふられたらどれだけうちなーぐちで挨拶できただろうか、、、またまた自分を知る、大変貴重な時間でした。 ちなみに、うちなーぐち(おきなわ語)講師の比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)氏によると、琉球諸島の言語は「琉球語」と単一の言語のように称されてきたが、実際には複数存在するため、近年琉球諸語研究者の間では、複数を意味する「諸」を加えて「琉球諸語」という呼称が多く使用されているそうです。氏は誤解を招かないために「琉球諸語」と呼称を改めるべきだ、と述べていて、私も素人ながらとても重要な指摘ではないかと思います。 すべての言語が守られ継承されることを願ってやみません。
2023/11/03
2023年 新年のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。新型コロナウイルスの感染拡大から2年目となった2022年、まずコロナ感染またワクチン接種により亡くなられた方とそのご家族、また後遺症で苦しまれる方とそのご家族を想います。またロシアのウクライナ侵攻により始まった戦争で亡くなられた方とそのご家族を想います。どうか亡くなられた方の上に永遠の安らぎが、またそのご家族の上に癒しと慰めがありますように。コロナウイルスもロシアとウクライナの戦争も誰も止めることはできませんでしたが、どうかこれ以上、人々の対立と分断が進みませんように。憎むより愛し、そしてこの困難を通り抜け、信頼と希望が生まれますように。 2023年、すべての人が隣人の苦しみを他人事でなく、自分の事としてとらえ、誰かに憐れみをあらわすことができますように。そしてすべての人が和(なご)みある、心安らかな一年を過ごすことができますようお祈りします。 また仕事でお世話になった皆様へ。昨年は大変お世話になりありがとうございました。お陰様で事業を、生活を営むことができました。スタッフ一同心から感謝申し上げます。 「当然は常に当然ではありえない」新しい年に私たちはこの言葉をあらためて胸に刻み、当たり前と思っている手法や価値観を恐れずに転換させ、今年もなお一層の技術革新とサービス向上を図り、よりよい商品・サービスの提供に努めて参ります。皆様の益々のご発展と豊かなご健康をお祈り申し上げ、新年のご挨拶といたします。
2023/01/01
沖縄69会チャリティー親睦野球大会に参加しました。
去る5月29日の日曜日の早朝、豊見城市にある瀬長島球場で開催された沖縄69会チャリティー親睦野球大会にドキドキしながら参加しました。 この大会は1969年4月~72年3月生まれ(同学年)の永遠の野球少年たちが年に一度集まり、試合を通して親睦を深めるもので今回第6回目を数えます。新型コロナウイルスの影響を受け2年振りの開催と聞きました。 私は高校時代は一応、野球部で20代半ばから30代半ばまでは同級生を中心にした草野球チームに所属していたのですが、あまりの下手くそぶりに自分で嫌になり、ここ10年以上は「引退」状態でした。しかし「逃げてばかりいてはいけない」と考え直し、友人に連絡を取り、参加させてもらいました。この大会には初参加でした。[試合前に宜野湾ドリフターズのメンバーで記念撮影] この沖縄69会の野球大会については参加した同級生から毎回「楽しかった」と聞いていました。また大会のたびに募金活動をしたり、会の中心の那覇69会は地域の清掃活動を積極的に行ったりしていると聞いていて、同級生ながらすごい集まりだなーと誇らしくまた尊敬していました。 今回、同級生と久しぶりにする野球は大会開始前の曇り空から一転、午後は太陽の光がまぶしく差したように、時間が経つほど私の中にあった不安を消し去り、最後まで楽しむことができました。またそれぞれ対戦は叶いませんでしたが、糸満と与那原出身の友人と思いがけず再会することにもなり、破顔一笑。本当に楽しい、充実した一日になりました。 大会には、那覇と浦添から2チーム、糸満、与那原、南城、豊見城、西原、嘉手納、うるま、そして宜野湾がそれぞれ1チームずつの合計12チームが参加し、トーナメント方式を勝ち抜いた与那原チームが優勝、豊見城チームが準優勝でした。 「おっさんだらけ」の試合なのでケガが一番心配でしたが誰一人ケガすることなく守られたこと、感謝します。参加された皆さん、祝勝会また反省会も楽しんだことと思います。熱中症また筋肉痛は大丈夫でしょうか。よいお年なので数日後にあらわれるのでお互い気を付けましょう。本当にお疲れ様でした。来年もこの大会にぜひ参加しますので宜しくお願いします。ちなみに我が宜野湾チームの成績は1勝1敗でした。[沖縄69会親睦野球大会、開会式の様子] [沖縄69会親睦野球大会、縁の下の力持ち!各チームの代表] [我が宜野湾チーム・ドリフターズの主軸が痛風を押して出場!] [次回優勝するのはどのチームでしょうか。皆さん、しっかり備えてまた楽しく交流しましょう]
2022/05/31
ウージの唄 / かりゆし58
歌詞に出てくる「憎むより愛せ」とはきれいごとではなく、正しいこと、真理だと信じたい。今、戦争という最も困難な時だからこそ最も心に刻みたい歌。ロシアとウクライナの即時停戦、休戦そして和平を求めて行動する。
2022/03/24
新年のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。昨年は新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、それにより当たり前だったものの多くが失われました。「幸せ」とは何かについて最近では最も考えさせられた一年だったと思います。皆さんはいかがだったでしょうか。 今なお厳しい感染状況は変わらず、特に経済的困窮や病(やまい)の中にある方たちが一刻も早くその不安から解放されることを願ってやみません。コロナウイルスはきっと収束すると思っていましたが、それは甘く、私たちは今一度ここで大きく変わらなくてはいけないとあらためて強く思います。 私もその一人である働き盛り世代では兎にも角にも「働き方改革」ではないでしょうか。沖縄でもオンライン会議(Web会議)が増えてきましたが、テレワークや時差出勤にはまだまだ高い壁があります。すべての企業では難しくても、社会の一人として、すべての人の幸せのために自分にできることから挑戦していきます。 幸い弊社にはオンライン会議やテレワークのノウハウがあり、また「非対面営業ツール」の代表格であるホームページの制作、運用も弊社が得意とするところです。ホームページの活用や「社内IT化」についてどうか弊社を用いてください。新型コロナウイルスをバネにビジネスを、自らをさらに大きく発展、成長させて参りましょう。2021年が寛容で助け合いの世の中となりますように。またその中にあなたとあなたの大切な方の幸せがありますように。心からお祈りします。
2021/01/01
『子ども』(ドロシー・ロー・ノルテ)
批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえるフェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる友情を知る子どもは 親切をおぼえる安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる 可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じとることを覚える ドロシー・ロー・ノルテ(1924年1月12日– 2005年11月6日)アメリカの作家兼家族カウンセラー(ウィキペディアより)
2020/10/22
どのような苦境が来ても負けずに力強く生きる(コロナ禍の今考える)
昨夜、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための緊急事態宣言が政府によりついに発令された。史上初のことだ。仕事、そして経営への不安 宣言の対象は、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県だが、感染は岩手を除く全国で拡大傾向にあり、このフェーズ(局面)に進んでくれるな、と強く願ってきたが宣言は仕方ないと思う。政府は、今すぐ人との接触を最低7割、極力8割減らし、感染拡大と経済全体へのマイナスを最小限にとどめよ、とも発している。もし接触の抑制が失敗に終わった時、感染者は増え、沖縄を含む全国のビジネスの現場ですでに起きている、感染拡大に伴う売り上げの減少はさらに広い業種へと広がり、またその長期化も予想される。その時うちの会社は大丈夫だろうか。不肖ながらも会社の代表なのでそんな不安が頭をよぎる。 沖縄では3月前半に、日韓関係悪化に伴う韓国人観光客の減少やその後のコロナによる大幅な訪日外国人旅行者(インバウンド)減の影響を受けたレンタカー会社の廃業、また県内では大手といわれる旅行社の休業が大きくニュースになった。最近ではホテルの稼働率が20%まで落ち込んでいるという報道や人気の大型商業施設で人影が驚くほど減っているという話も耳にする。飲食店のお客さんも減り、歓楽街「松山」の通りもほぼ黒服のキャッチだけらしい。今触れた業種だけではない。一見、観光とは関係がないような業種の隅々にも売り上げの減少は及び始めているのではないか。経済は巡り巡ってすべてつながっているからだ。最悪の結果は倒産や失業ではない 経済はつながっているゆえにこのコロナ危機の中、逆に売り上げを伸ばしている業種や商品、サービスももちろんある。しかし経済全体が縮小する中ではそれも手放しで喜べない。政府が感染拡大を抑えたいのは分かるが、今回の政策で接客を伴う多くの業種でさらに売り上げが減ることが予想され、コロナによりすでに売り上げが減っているところにとってはまさにダブルパンチだ。それによりそこで働く人たちの収入が減ったり、またさらに廃業や倒産が広がるのではないか。特に中小・零細企業や個人事業主の多い沖縄ではそれがとても心配だ。いや、私たちが知らないだけでもうすでに多くの人が収入が減り苦しんでいるではないか。 コロナの収束時期が全く見えない中、今働く多くの人が他人事ではなく、収入の減少や失業といった不安の中にいる。しかし、今がどのような状況であっても決して恐れてはいけない。簡単ではないが、恐れずによく考えてみる。収入が減ったり、失業した場合、国が給付金等で必ず支援してくれる。コロナによる売り上げの減少は働く者に責任はないからだ。弊社もコロナの影響を受けたクライアント企業からの仕事が減ったりしている。しかし怖さはない。私自身、例え会社が倒産=失業してもそれは最悪の形ではないからだ。最悪の形とは何だろうか。それはウイルス感染による重症化、それによる「死」だ。使命に生きたい 「命あっての物種」のことわざ通り、何事も命があってできる。働くことも夢も命があってこそ叶う。減収世帯には30万円の支給がすでに決まり遠からずそれが国から届く。それまで「苦しい」「困っています」となんとか声をあげることができれば助けてくれる人はきっといる。またコロナは必ず終息する。明けない夜はないという。何より私たちには使命がある。命を燃やし尽くせる場所がある。その命をコロナや支援の遅れによって決して失ってはいけない。今、特にコロナ医療の最前線では医師や看護師、専門スタッフなど多くの人たちが感染をも覚悟し誰かのために命懸けで戦っている。私たちもそのような尊い、自分以外の誰かのために生きるような「使命」がある。 仕事がなくなれば不安だ。収入が途絶えると「命」にかかわる。それでも仕事のために命を失ってはいけない。繰り返すが、それはすべての人に本当に自分の命を燃やし尽くせる場所があると思うからだ。仕事は手段だ。だから収入の減少や失業を決して恐れてほしくない。命を最優先にしてほしいと思う。あなたの周りには必ず助けてくれる人がいる。また辛酸をなめるほど、人はその悔しさをバネに強くなれるはずだ。そしてその先に、自分の命を燃やし尽くせる何かを、場所をきっと見つける時が来るだろう。では緊急事態宣言が発令された状況下でまだ仕事のある者は何をすべきだろうか。今だからできること、すべきことが必ずある 中小・零細企業の経営者の場合、何はさておき運転資金の確保だろう。資金繰りが厳しくなるのは目に見えている。運転資金がなければ社員と一つになって会社を守り抜くことはできない。そのためにまず国の助成金や補助金の申請に動こう。これらには返済義務がないからだ。 資金調達は返済義務のない助成金や補助金に依るのがベストだが、コロナとの戦いが長期化することを想定して、政府系や市中金融機関からの借り入れにも動こう。 特に政府系金融機関では無利子・無担保、あるいは金利を引き下げた貸付制度が実施されている。また国が「保証人」となる信用保証協会による「信用保証制度」を利用した、銀行からの長期の借り入れや融資枠の拡大も検討したい。コロナの収束が見えない今、運転資金は可能な限り備える必要がある。(これらの申請の相談は近くの商工会や商工会議所、銀行へ問い合わせるとよい。それ以外では都道府県庁または各自治体へ問い合わせるのもいい。) 資金繰り対策以外では、弊社の場合、今まさにITツールを活用したテレワーク(リモートワーク)やWeb会議(オンライン会議)へのニーズが高まっているのだから、まだその環境が整っていないクライアントへパソコンはもちろん、Gmailやドロップボックス、Zoomといった無料で利用できるクラウドサービスの導入や環境構築を支援することができる。テレワークやWeb会議はこれまで自分たちが長年行ってきた得意分野だからだ。ターニングポイントにできるか また今後、世の中はコロナをきっかけにますますインターネットに代表されるデジタルの世界に移行するはずだ。そうなれば企業にとってホームページやSNSを活用したビジネス展開がより重要になってくる。これまで順調に展開してきた企業はもとより、出遅れたところも自分たちに合ったIT・デジタルツールを使って自社の商品・サービスをお客様に知ってもらえるチャンスがある。コロナは時代の、経営の大きな転換点になる可能性がある。そのために企業はHPの充実やSNSの活用をさらに進める必要があるだろう。そしてこれらも弊社の得意分野だ。弊社としては早急にこれらの支援メニューを見直そう。 今はコロナの感染拡大防止のために訪問営業に代表されるリアルの営業は自粛せざるを得ない部分がある。その代替方法として、HPに代表されるネットの営業が難しいのであれば電話や手紙による営業もいいだろう。緊急事態でもあり、先んずればどんな方法でも相手の胸に普段よりも響くのではないか。「命を守る行動」を取りながら、今はただ自分にできることだけを考え、行動しよう。今この時、自分の、自社の強みをあらためて確認するなど、きっとこの時にしかできない仕事が必ずあるはずだ。コロナの災いも「益」にしよう 今回、自分に言い聞かす意味もあり思いをまとめましたが、働く多くの人と共有したい。こんな時にしかできない仕事がきっとある、それを喜んでやりたいと。またこんな時だからこそ生まれるアイデア→商品、サービスがきっとあるはず。いつもは分かっていてもできない、ピンチこそ自分を変える最大のチャンスなんだと、今回のコロナ禍も「益」にするような時に変えていきましょう。 もう一つ、コロナ危機を乗り切るために大切なこと。それは免疫力を高めることと言われています。なので私は最近、オモシロ動画などを見て大笑いするようにしています。ネットではよく不快な言説も目にしますがその時も大笑いを心がけています。そしてその背景に思いを巡らします。ただし自分の力では自分の感情・意志を常にコントロールすることはできません。そこは神様により頼み、助けてもらうことにしています。すべてのことに感謝する。この私の力強い、助け手についてもいつか書く機会が与えられることを願います。 読んでくれた方にどのような苦境が訪れようとも決して負けずに力強く生かされていくことを強く願い、祈っています。[新型コロナ支援・関連情報/外部リンク]●新型コロナウイルスにともなう あなたが使える緊急支援 | 自由民主党 (追加) ●【厚生労働省リーフレット「生活を支えるための支援のご案内(5月1日版22ページ)」 】 (追加)●コロナウイルス感染症関連給付金・補助金・助成金一覧まとめ(補助金ポータル)
2020/04/08
感謝、感謝、感謝
ある経営者団体の勉強会を諸事情によりお休みすることにしました。忘れられない、楽しい思い出が本当にたくさんあります。素晴らしい方ともたくさん出会えました。ずっと持ち続けたい目標も与えていただきました。本当に学べてよかった。目指す目標は変わりませんがアプローチ方法を変え、世の中のため、誰かのために尽くしていきます。唐突感もあったはずですが温かく送り出していただき心から感謝、感謝、感謝です。
2019/08/31
自分を変えたい時は~過去・現在・未来(1)
人は幸せになるために生きているとよく見聞きします。確かにそうだと思います。そのために人は自分を変えたい、成長させたいと願い、本を読んだり、自己啓発セミナーで話を聞いたりして学ぶのでしょう。大人になっても一生勉強だ、というのもなるほどと思います。幸せになんかなりたくないと悪ぶったり、斜に構えたり、あるいは本当に自暴自棄に生きている人たちもたくさんいることでしょう。特に自暴自棄に生きている人たちにもやはり幸せになるために生きることを願ってやみませんが、本当に私には想像もできないほどの困難や傷を抱えている方々にとって私の言葉は蟻よりも軽いものでしょう。だからまず今は生まれた国に、時代に、家族に恵まれた自分を少しでも変えてみたくて考えをまとめてみます。 私が少しでも自分を変えたいと願うのは、もちろん幸せになるためですが、もう少しいいますと自分の身近にいる人や困っている人を助けられる人間になりたいからです。特に弱い立場にいる子どもや障がいを持たれている方たちの命が、尊厳がそれゆえに決して踏みにじられることなく、誰もが愛され笑顔で過ごせる日々を願っています。別な言い方をしますと今の自分にはそれを叶えるための力がまったくないため自分を変えたいのだと思うのかもしれません。要は、今まで何一つ歯を食いしばって頑張り続けたことがない男が、50歳を目前に生き方を悔いているわけです。苦手なことは自分を鍛える 「幸せ」とは何か、これはまた大きすぎるテーマなのであらためて書かせてもらうとして、私が自分を変えたいと思って試し始めたのが「早起き」でした。6、7年ほど前からになるでしょうか。企業経営者が対象の勉強会に入会したのがきっかけでした。そこでは朝の6時からほぼ毎日1時間弱、経営改善につながるというミニセミナーがありました。私は早起きが苦手でした。苦手なことには手を出さない、避けるという考え方もあるでしょうが、私は自分を変えるにはこの苦手なことに挑戦するのがよいと思いました。 話が少し脱線しますが、ある日のセミナーでは、自分を鍛えるためにはこの苦手なことをやるのがよいという話でした。誰でも順風ばかりの人生、というものがないとしたら、時には困難や苦難といった嵐に見舞われる、といったことがあるとするならば、それを乗り越えるには日頃から自分を鍛えておく必要がある。それには苦手なことをやるのがよい。私は自分を少しでも変えたい、それは過去に大きな挫折、失敗があるからです。過去と他人だけは変えられないと以前のブログでも書きましたが、それならば自分と未来を変えるしかないわけです。 今の自分や生活に特に不満はないが将来襲ってくるかもしれない試練のために、あるいは自分を変えたくて自分を鍛えるために苦手なことに取り組む。私は後者の立場で挑戦しようと思ったのでした。ちなみに、苦手なことと逆の「好きなこと」はどう考えたらいいと思いますか。講師によると「仕事にする」とよいそうです。好きこそものの上手なり。好きであればどんどん知恵が出る。出足も早く、才能もどんどん伸びる。ゆえに結果もどんどん付いてきて早く出世や成功するそうです。確かにそう思います。でも、逆の発想も導けますね。すなわち、自分を変えたい、成長させたいために苦手なことを仕事にするという手です。「期間限定」であればきっと誰でも(私でも)頑張れるのではないでしょうか。早起きして気付いたこと さてその早起きですが、やってみて気付いたことがあります。一つ目は朝は時間がゆっくり流れるということです。決して寝ぼけてるわけではありません。油断するとまた寝てしまいますが、静寂がそうさせるのか、集中力が高まる気がします。また寝ている間に脳がリセットされるせいか、よいアイデアが浮かびます。顔を洗ったりシャワーに入っていると突然閃くことがよくあります。だから朝に勉強や仕事をするとよい、というのは本当だと思います。注意したいのがシャワー時には紙とペンを常に近くに置くということです。そうでないと裸のまま廊下にでるか、移動している間に大切なアイデアや閃きを忘れてしまうことになります。 気付いたことの二つ目は朝は人を優しくする、あるいは素直にするということです。まだ寝ている親を起こさないよう、そっと朝の勉強会に出かけます。またある朝はいつもは5時過ぎには起きてくる老父がなかなか起きてこないので心配になり寝室に見に行きます。ちゃんと呼吸をしているのを確かめ安心します。それが前日、政治問題で激しく対立していたとしてもです。朝は不思議と人の心もリセットするようです。 効用はまだまだあります。早起きはわがままや眠い辛さに打ち克ったご褒美として天から澄みきった、張りきった心がもらえます。おかげで仕事や家のこと、自分の好きな趣味のことなどが多くでき1日が長く感じられます。理想的で充実した1日を過ごすことができます。 難点といえば、あまり早く起きすぎると昼間から眠たくてしょうがない点でしょうか。しかしこれは筋肉痛と一緒です。日頃鍛えていないから筋肉は痛い、早起きは眠いだけであって、鍛えていくうちに筋肉痛も眠いのもなくなっていくはずです。ただ早起きがどうしてもできないという人もいるはずなのでそこは別の方法で自分を鍛えます。早起きは単なる手段にしかすぎないからです。ITバブルに乗って起業 私がこの早起きをてこに自分を変えようして6年ほどが経ちました。振り返る前に、私は大学を出させてもらった後、約7年ほどの会社勤めを経て、今から18年前の2002年に起業しました。今も働く、インターネットを使った集客や販促支援を主に行う会社です。起業前の私の前職は広告代理店のWebの営業で、ホームページの制作や更新の支援、Web広告の販売等を1年弱行いました。最初に勤めた会社を辞めたあとの仕事で沖縄ではハシリの部類でした。その少し前、本土では「IT狂騒曲」と呼ばれるような、ITの異常な盛り上がりが東京を中心に既に起きており、沖縄でも「ITで食っていけるようになるかもしれない」そんな時でした。私が起業できたのはこのようなタイミングと転職した広告代理店で私を育成し、指導してくれたメンターと呼べる者に出会えたおかげでした。その者はプログラミングをはじめ色々なことができ、起業から今もずっと変わらず私を支えてくれ、彼なしでは起業は思いつかず、人との出会いが運命を変える、という誰から聞いた言葉を思い出します。 そのメンターの読み通り、仕事は増え、また新たな仲間も増え、会社の売り上げは徐々に増えていきました。しかし、起業9年目あたりから同業者との競争が激しくなったこともあり、売り上げが伸び悩むようになりました。そんな時に出会ったのが先に触れた企業経営者が対象の勉強会でした。少し触れたようにその会では朝の6時から多くの経営者が集まり、勉強や交流をしていました。私はこの早朝の勉強会への参加を通して自分を変えて、それにより事業をさらに発展させたいと思いました。 ちょうど42歳になるかならないかの頃でした。今も連載中か分かりませんが、日経新聞の名経営者たちの「私の履歴書」調になってきて恥ずかしくなってきましたが続きます。
2019/06/29