初めてテンブスホールで演奏させてもらいました。
去る12月5日木曜日の夕刻、那覇市ぶんかテンブス館のテンブスホールで琉球箏曲(そうきょく)盛竹会(せいちくかい、仲嶺貞夫会長)の初公演「琉球箏曲と八橋流―六段管攬と九段―」があり、そのうちの琉球舞踊演目(かぎやで風、加那ヨーの二題)で三線地謡をお手伝いさせてもらいました。 これは、盛竹会の仲村渠達也副会長が、私が所属する沖縄新進芸能家協会(以下、新進協)の会長であったことから、公演プログラムに組まれた琉球舞踊を新進協の役員で担当させてもらうことになり、役員の末席にいた私にもお声がかかった次第です。 テンブスホールにはこれまで芸能鑑賞のために客として何度か足を運んだことはありましたが、その舞台に自分が立てるとは思いもしないことでした。まさに一方的な恵みでした。 演目のうち「加那ヨー」はあまり練習したことなく、当然地謡初挑戦だったのでお声がかかった時は一瞬ビビりましたが、メンバーは私以外は強者(つわもの)ぞろいで安心でしたし、何よりこんな貴重な機会は滅多にないと、喜んでお受けさせてもらいました。 本番は地謡は舞台袖だったこともあり、思ったより緊張しませんでしたが、お客様との距離が近く、応援に来てくれた先生方の顔がよく見えました。程よい緊張感がとても気持ちよかったです。まだ未熟にもかかわらずこのような貴重な機会をくれた達也さん、また心配をかけながらも一緒に出さてもらった舞踊と地謡の役員メンバーにただただ感謝です。 そして何より公演に足を運んでいただいたお客様に心から感謝いたします。ありがとうございました。 男性地謡メンバーと(真ん中が仲村渠達也琉球箏曲盛竹会副会長)
2019/12/14
Bad / U2(ユートゥー)
U2、2曲目紹介。ボノの甘い声が苦手と約30年前話してくれた先輩とともに忘れられない、U2の曲の中で好きな歌のひとつです。特にラストの「さよなら、ルビーチューズデイ。君を手にするのは誰なんだろう。君に会えてよかった」という部分が胸を打ちます。いつもそんな心(強さ)を持っていたい。
2019/12/01
介護福祉施設「夕涼み会」の余興に出させてもらいました。
3年目に入った小さな三線演奏活動。今回は11月16日土曜日、沖縄市にある介護福祉施設で開催された夕涼み会余興に出させてもらいました。 余興をご依頼いただいた施設関係者の皆様感謝致します。さらに練習に努めますので来年の夕涼み会も余興のご依頼いただけると有難いです。今回演奏した曲:かぎやで風節、前之浜、南洋浜千鳥、上り口説・下り口説 2週間ほど休んで今年一番の舞台があります。それに向けてまた明日から猛特訓です。※今回のような夕涼み会、敬老会、新年会などでの余興に無償で出演させてもらいますので関係者の皆様、お気軽にご連絡くださいませ。(ご連絡は、メール nichi2@mokuhyou.okinawa 宛にお願い致します)「小さな三線活動」は琉球古典音楽の演奏(歌三線、笛、太鼓)がメインですが、タイミングが合えば琉球舞踊を披露させてもらうことも可能です。(舞踊 かぎやで風節)(舞踊 前之浜)(舞踊 南洋浜千鳥 )(舞踊 上り口説・下り口説)
2019/11/18
(令和元年度)第40回記念「宜野湾市文化祭」に出させてもらいました。
去る11月10日日曜日の午後、宜野湾市民会館で開かれた宜野湾市文化祭(第40回記念)に琉球舞踊の地謡(じかた、又はじうてーと呼びます)で出させてもらいました。その前の週の日曜にも所属する琉球古典音楽野村流保存会那覇支部の定期公演があり、2週連続の舞台となりました。 今年は組踊(くみおどり)初演から300年の節目ということで、本文化祭でも組踊の上演がありました。組踊は通常、古典音楽とは別に開催されることが多いので今回ご来場いただいた方は両方楽しめて良かったのではないでしょうか。 ただそのためか、、、地謡出演者が不足し、いつもなら出演できる(割り当てのある)舞踊地謡は1演目なのですが今回は2演目でした。舞台を通して超速の進歩(いかに短期間で成長できるか)を目指す私にとって大変有難いことです。しかしいつもの2倍の練習に加え、初挑戦の曲もあり本番ぎりぎりまで不安との戦いでした。 本番では他の地謡の先輩メンバーになんとか迷惑をおかけせずに務めることができたかなと思いますが練習不足は否めません。悔い改め日々の練習に努めます。今は我慢、耐える時です。 また何より出演の機会をいただいた桃原廣政先生とリーダーを務められた長濱森夫先生、桃原廣政研究所の富濱先輩、國吉先輩、そして舞踊の皆様方、ご来場、関係者の方々に心から感謝申し上げます。(古典芸能プログラム)(1部)1.古典音楽斉唱・・・恩納節(うんなぶし)・御縁節(ぐいんぶし)・辺野喜節(びぬちぶし)2.舞踊・・・かぎやで風(かじゃでぃふう)3.舞踊・・・若衆(わかしゅ)ゼイ4.舞踊・・・かせかけ5.舞踊・・・前の浜(めえーぬはま)6.組踊・・・銘苅子(めかるしー)(羽衣伝説)(2部)7.器楽合奏・・・豊年8.舞踊・・・鷲の鳥(ばしんとぅー)9.舞踊・・・下り口説(くだいくどぅち)10.舞踊・・・夏姿11.舞踊・・・かたみ節12.舞踊・・・御祝踊り13.舞踊・・・傘の鳩間節14.舞踊・・・加那よー天川(かなよーあまかわ)※読み方が間違えている場合はお許しください(またご教示お願いします)。 今回挑戦させてもらった曲は「千瀬節(ふぃしぶし)・七尺節(しちしゃくぶし)」(舞踊 かせかけ)、「中作田節(ちゅうちくてんぶし)・鳩間節」(舞踊 傘の鳩間節)の4曲でした。 本番の様子・琉球舞踊「傘の鳩間節」(鳩間節)本番前のお箏(こと)との手合わせ
2019/11/15
名護市大東にある不動産会社様ホームページをリニューアルさせてもらいました。
「世の中、人間関係で動いている」と以前、誰かが話していたのを覚えています。ビジネスもそうだとつくづく思います。 今回もある経営者の勉強会がきっかけでご縁をいただきました、名護市大東にある不動産会社、株式会社北部住宅サービス様のホームページリニューアルを任させていただきました。予想していなかったことで、しかし弊社の場合、多くがこのようにお知り合いやご紹介でお仕事をいただくことが多く、本当にありがたいことです。 ※画像クリックでホームページが開きます(別画面) 以前の同社のホームページの問題点としては以下がありました。(1)デザインが古い。またスマートフォン対応ができていない。(2)物件情報の更新作業がシステム化できておらず毎回時間がかかって大変(限られた担当者が専用ソフトウェアを使って更新)。 同社は立地条件がよく、日頃から地域の方々が気軽に足を運んだり、また今でも飛び込みでお客様が相談に訪れるような、まさに「町の不動産」として営まれており、新しいホームページは物件情報を中心にとにかく見やすく、分かりやすいものにしたいというお話しでした。 そこで打ち合わせの結果、デザインは極力シンプルにし、またスマートフォンからの閲覧の場合は自動的にページレイアウトが変形する「スマホレシポンシブデザイン」を提案させていただきました。 また物件情報の更新には、パソコン初心者でも情報をタイムリーに更新いただけるよう、弊社開発の物件更新システムをご導入いただきました。物件更新システムはインターネットに接続しているパソコンであればどれでもシステムにアクセスして、作業ができるクラウドサービスです。 このあとも名護市を中心にしたやんばるでのお住まいをお探しの方々のお役に立てるよう、北部住宅サービス様と力を合わせてコンテンツの充実に努めて参ります。 ご協力いただきました関係者の皆様、ありがとうございました。取り急ぎお礼とご報告申し上げます。※今回導入した機能等:常時SSL(情報の暗号化通信によるサイトの安全対策)、コンテンツ管理システム(沖縄いー物件)、スマホ対応、アクセス解析機能、オリジナルデザイン
2019/10/21
感謝、感謝、感謝
ある経営者団体の勉強会を諸事情によりお休みすることにしました。忘れられない、楽しい思い出が本当にたくさんあります。素晴らしい方ともたくさん出会えました。ずっと持ち続けたい目標も与えていただきました。本当に学べてよかった。目指す目標は変わりませんがアプローチ方法を変え、世の中のため、誰かのために尽くしていきます。唐突感もあったはずですが温かく送り出していただき心から感謝、感謝、感謝です。
2019/08/31
自分を変えたい時は~過去・現在・未来(1)
人は幸せになるために生きているとよく見聞きします。確かにそうだと思います。そのために人は自分を変えたい、成長させたいと願い、本を読んだり、自己啓発セミナーで話を聞いたりして学ぶのでしょう。大人になっても一生勉強だ、というのもなるほどと思います。幸せになんかなりたくないと悪ぶったり、斜に構えたり、あるいは本当に自暴自棄に生きている人たちもたくさんいることでしょう。特に自暴自棄に生きている人たちにもやはり幸せになるために生きることを願ってやみませんが、本当に私には想像もできないほどの困難や傷を抱えている方々にとって私の言葉は蟻よりも軽いものでしょう。だからまず今は生まれた国に、時代に、家族に恵まれた自分を少しでも変えてみたくて考えをまとめてみます。 私が少しでも自分を変えたいと願うのは、もちろん幸せになるためですが、もう少しいいますと自分の身近にいる人や困っている人を助けられる人間になりたいからです。特に弱い立場にいる子どもや障がいを持たれている方たちの命が、尊厳がそれゆえに決して踏みにじられることなく、誰もが愛され笑顔で過ごせる日々を願っています。別な言い方をしますと今の自分にはそれを叶えるための力がまったくないため自分を変えたいのだと思うのかもしれません。要は、今まで何一つ歯を食いしばって頑張り続けたことがない男が、50歳を目前に生き方を悔いているわけです。苦手なことは自分を鍛える 「幸せ」とは何か、これはまた大きすぎるテーマなのであらためて書かせてもらうとして、私が自分を変えたいと思って試し始めたのが「早起き」でした。6、7年ほど前からになるでしょうか。企業経営者が対象の勉強会に入会したのがきっかけでした。そこでは朝の6時からほぼ毎日1時間弱、経営改善につながるというミニセミナーがありました。私は早起きが苦手でした。苦手なことには手を出さない、避けるという考え方もあるでしょうが、私は自分を変えるにはこの苦手なことに挑戦するのがよいと思いました。 話が少し脱線しますが、ある日のセミナーでは、自分を鍛えるためにはこの苦手なことをやるのがよいという話でした。誰でも順風ばかりの人生、というものがないとしたら、時には困難や苦難といった嵐に見舞われる、といったことがあるとするならば、それを乗り越えるには日頃から自分を鍛えておく必要がある。それには苦手なことをやるのがよい。私は自分を少しでも変えたい、それは過去に大きな挫折、失敗があるからです。過去と他人だけは変えられないと以前のブログでも書きましたが、それならば自分と未来を変えるしかないわけです。 今の自分や生活に特に不満はないが将来襲ってくるかもしれない試練のために、あるいは自分を変えたくて自分を鍛えるために苦手なことに取り組む。私は後者の立場で挑戦しようと思ったのでした。ちなみに、苦手なことと逆の「好きなこと」はどう考えたらいいと思いますか。講師によると「仕事にする」とよいそうです。好きこそものの上手なり。好きであればどんどん知恵が出る。出足も早く、才能もどんどん伸びる。ゆえに結果もどんどん付いてきて早く出世や成功するそうです。確かにそう思います。でも、逆の発想も導けますね。すなわち、自分を変えたい、成長させたいために苦手なことを仕事にするという手です。「期間限定」であればきっと誰でも(私でも)頑張れるのではないでしょうか。早起きして気付いたこと さてその早起きですが、やってみて気付いたことがあります。一つ目は朝は時間がゆっくり流れるということです。決して寝ぼけてるわけではありません。油断するとまた寝てしまいますが、静寂がそうさせるのか、集中力が高まる気がします。また寝ている間に脳がリセットされるせいか、よいアイデアが浮かびます。顔を洗ったりシャワーに入っていると突然閃くことがよくあります。だから朝に勉強や仕事をするとよい、というのは本当だと思います。注意したいのがシャワー時には紙とペンを常に近くに置くということです。そうでないと裸のまま廊下にでるか、移動している間に大切なアイデアや閃きを忘れてしまうことになります。 気付いたことの二つ目は朝は人を優しくする、あるいは素直にするということです。まだ寝ている親を起こさないよう、そっと朝の勉強会に出かけます。またある朝はいつもは5時過ぎには起きてくる老父がなかなか起きてこないので心配になり寝室に見に行きます。ちゃんと呼吸をしているのを確かめ安心します。それが前日、政治問題で激しく対立していたとしてもです。朝は不思議と人の心もリセットするようです。 効用はまだまだあります。早起きはわがままや眠い辛さに打ち克ったご褒美として天から澄みきった、張りきった心がもらえます。おかげで仕事や家のこと、自分の好きな趣味のことなどが多くでき1日が長く感じられます。理想的で充実した1日を過ごすことができます。 難点といえば、あまり早く起きすぎると昼間から眠たくてしょうがない点でしょうか。しかしこれは筋肉痛と一緒です。日頃鍛えていないから筋肉は痛い、早起きは眠いだけであって、鍛えていくうちに筋肉痛も眠いのもなくなっていくはずです。ただ早起きがどうしてもできないという人もいるはずなのでそこは別の方法で自分を鍛えます。早起きは単なる手段にしかすぎないからです。ITバブルに乗って起業 私がこの早起きをてこに自分を変えようして6年ほどが経ちました。振り返る前に、私は大学を出させてもらった後、約7年ほどの会社勤めを経て、今から18年前の2002年に起業しました。今も働く、インターネットを使った集客や販促支援を主に行う会社です。起業前の私の前職は広告代理店のWebの営業で、ホームページの制作や更新の支援、Web広告の販売等を1年弱行いました。最初に勤めた会社を辞めたあとの仕事で沖縄ではハシリの部類でした。その少し前、本土では「IT狂騒曲」と呼ばれるような、ITの異常な盛り上がりが東京を中心に既に起きており、沖縄でも「ITで食っていけるようになるかもしれない」そんな時でした。私が起業できたのはこのようなタイミングと転職した広告代理店で私を育成し、指導してくれたメンターと呼べる者に出会えたおかげでした。その者はプログラミングをはじめ色々なことができ、起業から今もずっと変わらず私を支えてくれ、彼なしでは起業は思いつかず、人との出会いが運命を変える、という誰から聞いた言葉を思い出します。 そのメンターの読み通り、仕事は増え、また新たな仲間も増え、会社の売り上げは徐々に増えていきました。しかし、起業9年目あたりから同業者との競争が激しくなったこともあり、売り上げが伸び悩むようになりました。そんな時に出会ったのが先に触れた企業経営者が対象の勉強会でした。少し触れたようにその会では朝の6時から多くの経営者が集まり、勉強や交流をしていました。私はこの早朝の勉強会への参加を通して自分を変えて、それにより事業をさらに発展させたいと思いました。 ちょうど42歳になるかならないかの頃でした。今も連載中か分かりませんが、日経新聞の名経営者たちの「私の履歴書」調になってきて恥ずかしくなってきましたが続きます。
2019/06/29
While My Guitar Gently Weeps / The Beatles
ビートルズ紹介3曲目。ジョージ・ハリスンの凄さにも触れねばなるまい。 この曲の他に「Something」「Here Comes The Sun」もジョージが作り歌っている。
2019/06/05
(再掲)人にやさしく / The Blue Hearts
ブルーハーツ、2曲目紹介。母がヒロトを初めてテレビで見て呆気に取られながら発した一言が今でも忘れられない。情け深い母は「この人は〇〇〇かね」と心配とも、あるいは呆れとも何ともいえない様子であった。その後、再びブルーハーツがテレビで歌っているのを見つけるのだが少女のように嬉々として聴いていた。ヒロトに好感を持ったようだ。音楽のセンスもある母だと思った。(ビートルズの「Don't Let Me Down」のところでも書いたが母はビートルズのほか、美空ひばりと尾崎豊も好きだった)私が20代前半、母が50代前半の頃の話だったと思う。作詞・作曲:甲本ヒロト 初めは「青空」をご紹介したのですが著作権に問題があり動画が削除されてしまいました。同じく母が喜んだ動画(人にやさしく)がありましたので紹介させてもらいます。また削除されていたら許してください。
2019/06/01