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2019/01/04
生きる原動力
この世に生をうけて49年と少し月日が経った。まさに光陰矢の如し。あっという間のおよそ半世紀だ。いい機会なので生きる原動力について書いてみる。10代、20代の頃から夢や目標が途中で頓挫することがあった。30代、40代になっても頓挫は続く。叶った夢や目標もあるが自分がこれまで歩んできた道に満足しているかといえば満足していない。特にここが大勝負という一番大事なところであともう一歩というところまでいきながら崩れてしまう、最後までやり切れない。これは自分に何か大きく欠けているものがあるのだろうとさすがに思った。
そんな時に、成功の秘訣である終始一貫ができないのは継続するエネルギーが乏しいから、継続するエネルギーが乏しいのは本(もと)を忘れるからである、ということをある勉強会で教えてもらった。本には3つあり「初心」と「様々な恩」とそして「生命源」。生命源とは何か。両親である。この3つの中で私には特に「生命源」を忘れてしまっているのではないかと思った。両親への感謝である。
両親への感謝、偉大なる常識
結果が出ない以上、私の場合、両親への感謝が足りないという最終仮説に達する。意外だ。両親への感謝。こんな当たり前のことは知っているつもりだった。思春期真っ只中に母の頼みに白髪を抜いてやり、成人後の誕生日ではシミだらけの手を思い出し、初任給からはわずかばかりを送り、それからだいぶ後、父にはある時一度だけ背中を流させてもらったことがある。
しかし私は親への感謝をはたして本当に忘れず持ちえていたか。どうやら違ったようだ。節目節目には感謝していた、と言いたいところだが贔屓の引き倒しでそれも怪しい。「草木でさえ季節季節には命の本に感謝するのに、人として生まれて親への孝行を表さないことがあるだろうか」という教訓歌(琉球古典音楽「すき節」)がせっかくこの沖縄には昔からあるのだし、親には毎日感謝すべきだろう。「恩は行動(態度)で示す」という。忙しいというのは「心を亡くす」ことでよくない。例えば感謝の祈りを1分でもいいではないか。
「言葉使いは心遣い」とも教わる。これも耳が痛い。私の言葉使いはどうだったか。ぶっきらぼうでなかったか。照れなら許されるかもしれないが私の場合ぶっきらぼうだ。そこに愛はあったか。。。
やはり私は親への感謝を知らない。それをまず知らなければならない。嫌でも自分の現状とこの最終仮説に向き合わなければならない。あるいは知っていてもやらなければ意味がない。行動が伴ってはじめて感謝や孝行を知っていることになるのだ。ここが肝だ。すべてだと思う。ちなみに親への感謝をはじめ誰でも知っていること、当たり前のことを「偉大な常識」「グレートセオリー」というそうだ。
まずは今から言葉遣いを変えよう。驚いて腰を抜かさなければいいが。。。そして両親への感謝を生きる原動力に、成功の原動力にしよう。いつか目標を達成してグレートセオリー、漫画の主人公のようにとつぶやけたらいいな。